退職しました。

本日、2012年7月31日をもって、会社を退職いたしました。
上京してから(最初の棲家は埼玉県川口市でしたが)11年4ヶ月、沢山の方々に支えられ、今日までやってこれました。大変お世話になりました。ありがとうございました。


課で行なってもらった壮行会で頂いた花束。花束をもらうのって初めてです。うれしいな。課の皆さん、ありがとうございます。





今後は、「とりあえず広島に帰る」という事だけ決めていて、次の仕事・転職については「ゼロ」、何も決めていない状況です。
退職の手続きはもちろんのこと、広島に引越しすることなどで手一杯で、これと同時並行で転職活動をするのは、不器用な私にはただただ気持ちを焦らせるだけで、なんとなくだけど、どれも良い方向に行かないように感じたので、ここはとりあえず広島でゆっくりと、体調を整えつつ、今後の人生について考えようと思っています。


辞める決意までの経緯を思うと、正直、悔しい・無念な気持ちでいっぱいですが、それはまあ、しょうが無いことと割り切って、次の段階に進める良い切っ掛けと思えば、良いタイミングだったと思っています。




会社で、私の体調に配慮してもらって私にまわす仕事を軽めにしてもらったり、定時出勤・定時退勤を医師の言いつけ通り実行させて頂いていましたが、やはり、周りの同僚たちは夜遅くまで仕事に追われてるわけで、そんななか、力になりたい気持ちがあるのに、ドクターストップでそれが出来ない自分がとても悔しく、また情けない気持ちでいっぱいでした。会社の多くの人が私の体調について知らない方が多いのだから、もしかすると「あいつ(私)、仕事もしないし、さっさと帰りやがって何なんだよ!」って思われているんじゃないかとか、「あいつ元気そうじゃん、体調が悪いってウソなんじゃないの?甘えてるだけだよ」とか思われてるんじゃないかと、勝手な妄想でネガティブな思考に陥って、会社に行くのも辛かったり、自席に座ってることさえ辛いこともありました。そういう思考に陥ってメンタル面で体調を崩す度に「もう辞めたほうが良い」と何度も思いました。でもなかなか踏み切れませんでした。ネガティブ思考に陥っているときに「退職後のこと」を考える余裕は無いし、考えたところでネガティブな事ばかり思い浮かんで、怖くて、どうしても踏ん切りが付きませんでした。とりわけ「無収入になる」のが怖かったです。頭の中がそんな考えでいっぱいだったので、ズルズルと6月末まで決断できずじまいで来てしまいまいした。


「私にかかった経費が回収できない、これからもこの調子では困る」と会社側から言われて、『とうとう自分は、儲けるどころか損失を与える存在になってしまった』と思い、一日休みをもらってじっくり考え、退職を決意しました。


会社側の言うことは当然だと思います。企業ですから、儲けを出さなくては話しになりません。話しをしていて、自分でも「そうでしょうね」と理解していました。
ただ、会社側には、私のかかりつけであった医師と、よく相談して欲しかったと思います。
会社側の人間は、私の通院に付き添ってくれたとき、医師とも話しをしているのだから、「私が正常に復帰するまで早くて半年はかかる、それも投薬しながら。」ということも知っているし、「当面は定時出勤・定時退勤を必ず守る。シビアな納期が発生し、プレッシャーが過度にかかる仕事はさせない」という医師の言いつけも了承しているはずです。ですが、会社は半年すら待てなかった。復帰2週間後「火の粉が上がっている」仕事に回され、残業やほぼ徹夜で仕事をしたら、当然のように体調を崩し、結局は後輩に仕事を引き継いでもらうことになってしまいました。とつぜん引き継ぎさせられた後輩には大変申し訳なく思っています(彼もその後、そうとう苦労していました)。


会社側は医師との話しを守っている「余裕」がなかったんでしょうね。「早くて半年」すら待てなかった。この面については、会社に対して残念な気持ちを感じざえるを得ませんでした。最近も社内で、過度な仕事量で体調不調者が続出している、という話しをよく耳にしましたが、是非、そういう人には優しい会社であって欲しいです。体調を崩すような過度な仕事をしなくてもいいように、よく考えて欲しいと思います。




昨日は仕事を教えて頂いた先輩2名、そして入社時にお世話になったお客さんと食事をしました。お腹いっぱい中華料理をごちそうして頂きました。


今日は課の壮行会をして頂きました。とても楽しかったです。
『会社に損失を与える存在』なのだから、お世話になった方々に感謝をし、あとは静かに去って行こうと思っていたので、壮行会をして頂けるということだけで嬉しくて泣きそうになりました。本当にありがとうございました。




以前読んだ本(id:Tensor:20111006)に心に残った文章がありました。

考えることに時間をかけすぎず、飛び込んでみること。

時間はかかったけど、とうとう飛び込めました。(どうなるか分からないけれど)




お世話になった方々にはいくら感謝しても足りません。本当にありがとうございました。